第5回日本集団災害医学会 一般演題1-24

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抄録(
一般演題1-24,25-56),シンポジウム,パネルディスカッション,緊急報告(臨界事故),特別講演


1. 国立大学病院は災害拠点病院として機能するか?

信州大学医学部附属病院 救急部

奥寺 敬

 

 災害拠点病院は、各県二次医療圏毎に指定され様々な災害医療の機能を要求される「地域災害医療センター」とこれらの機能を強化し要員の訓練・研修機能を有する「基幹災害医療センター」からなる。全国42校の国立大学医学部附属病院における災害拠点病院の指定状況に置いて、平成11年8月1日現在、要員の訓練・研修機能を求められる基幹災害医療センターに指定されているのは神戸大学、佐賀医科大学、秋田大学、長崎大学の4大学であり、地域災害医療センターに指定されているのは、東京大学、大阪大学、東北大学、東京医科歯科大学、九州大学、千葉大学、信州大学、三重大学、鳥取大学、福井医科大学、浜松医科大学の11大学で、両者を合わせても全国42校中15大学に過ぎない。

 例として信州大学医学部附属病院を分析すると、病床数700床、職員定員(平成11年6月1日現在)は医学部287名、附属病院529名、総計817名を有する。定員外職員(研修医など)を含むと看護婦は394名、医師は418名に達する。この人員配置は、医学生等の教育や高度先進医療の研究目的など大学病院の特性を発揮する上では慢性的に不足しているものの、これらを一時的に中断した対応となる大規模災害時においては潜在的な人的資源として考えることができる。また、教育中の医学生・看護学生等が同様に潜在的ボランティアの人的資源となりうること、総合大学に於いては他学部の学生も十分に人的資源になりうることを総合的に考えると、災害拠点病院としての国立大学病院の人的資源の可能性を積極的に捉えるべきであると考える。

 災害のモデルとして平成10年2月の第18回長野オリンピック冬季競技大会への大学をあげた取り組みを人的資源の面から分析し、人的な側面から国立大学病院の災害拠点病院としての位置づけを検討する。また、学生に対する災害教育の導入、卒後研修における取り組みなどを合わせて検討する。

 


2. 災害拠点病院は何を根拠に備蓄量を決めればよいか

県立広島病院救命救急センター

金子高太郎、石原 晋

 

 厚生省が指導する「阪神・淡路大震災を契機とした災害医療のあり方」により災害医療拠点病院の整備が進んでおり、この拠点病院においては、災害時の備蓄が必要とされている。つまり患者の多数発生時用の簡易ベッド、自己完結型の医療救護チームの派遣のための救急医療資機材、応急用医薬品、仮設テント、発電器、飲料水、食料、生活用品等の装備などである。

 災害時における対応すべき多数発生患者数として、入院患者については通常時の2倍、外来患者については通常時の5倍程度が基準として想定されているが、実際にこれらの患者に供給する医療資源や飲料水、食料、生活用品の備蓄量の具体的な基準は示されていない。国立病院東京災害医療センターは、近い将来来るであろう南関東大震災時の後方支援病院としての位置づけが明確であり、その災害マニュアルに記された備蓄量は震災を想定した最大規模の備蓄であり、一地方の拠点病院が模倣できるものでは無い。また上記の想定患者が外傷性外科系疾患か、サリンなどの内科系疾患かによっては備蓄する内容が異なる。このように多様な災害時の医療要請に全て応えられるような膨大な備蓄量を、病院経営を圧迫しないよう死蔵せずまた職員の労務に過剰な負担を与えずに回転させることは困難と考えられる。

 県立広島病院では、傷病者を被災地から非被災地へ広域搬送を行う手段や必要医療物品、生活用品を短時間に搬送する手段を早期に立ち挙げることを前提に、備蓄量を外傷系患者約50人と想定して、医療資機材、医薬品などを決定した。

この方針ならびに備蓄内容を紹介し、ご批判を仰ぎたい。

 

 


3. 災害拠点病院救護要員研修について

-長期展望に立った岡山方式-

川崎医科大学救急医学 岡山赤十字病院*

藤井千穂、奥村 徹、本郷基弘*、清水孝市*

 

 災害基幹医療センターは他の災害拠点病院の教育、研修の責務を負っている。このことを鑑み、岡山県では、岡山赤十字病院が中心となって、研修に取り組んできた。災害がきわめて少ない岡山県にあっては、基礎から学んでいくことが必要であった。そこで、@災害医療と通常の医療とは違うという認識をもつこと、A災害拠点間の信頼関係を作ること、B基本的な手技を身につけ、様々な体験をしいていくこと、などを骨子として3年がかりでゆっくりと研修を行う計画を立てた。

 年2回の研修会をもち、講演としては初年度に「災害とは」「トリアージとは」、2年目は「日本の大災害の実際」「東京地下鉄サリン事件を体験して」、3年目は「災害急性期の医療はどのように整備されてきたか」などを取り上げた。実技としては初年度「担架搬送の仕方、テントのはり方」「三角巾やロープの使い方」、2年目には「机上シュミレーション」「模擬患者を使ってのトリアージ」を行い、3年目の春には岡山赤十字病院のヘリポートのこけら落しも兼ねて、模擬患者100人をメーキャップさせ、総勢約850人参加のもとに地震を想定して応急手当、トリアージの実習をした。今秋、川崎医大を舞台にトンネル内追突火災事故を想定して同様の訓練を行った。これは本年から、春は基幹病院で総合的、基本的手技を習得し、秋は各拠点病院をもちまわりにて実際の災害を想定した訓練を行うという計画に基づく。来秋は津山にて河川の水害を想定し、主として避難所での医療を考えていく予定である。

この3年間の間に、県保健福祉部、県医師会、岡山・倉敷市消防局、自衛隊の理解と協力も得られるようになり、災害時には基幹病院の指示のもとに速やかに対応できる体制を構築できたものと自負している。

 

 


4.  基幹災害医療センターとしての災害研修について

   千葉県消防・救急隊災害医療セミナー報告

近藤久禎 久野将宗 中村敏 工広紀斗司 原義明 犬塚祥 益子邦洋 二宮宣文* 山本保博*

日本医科大学付属千葉北総病院救命救急部

日本医科大学救急医学教室*

 

 背景)基幹災害医療センターの役割の一つに「災害研修」がある。我々は、昨年に引き続き、本年3月に千葉県の消防隊、救急隊を対象に災害医療セミナーを実施し、「災害研修」のあり方について検討した。

 方法)千葉全県の消防隊・救急隊より参加を募った。セミナーは、中毒による集団災害についての講演、シミュレーションを行った。シュミレーションは、当院近隣の消防隊員の企画・進行にておこなった。評価は参加者に対するアンケートを中心に行った。

 結果)参加消防本部数21(県内34箇所)より参加人数133人、千葉県消防学校より102人の参加が得られた。参加者は救急救命士13%、救急隊29%、消防隊31%であった。セミナー終了後行った参加者へのアンケートは、回収率89.3%(N=210)であった。成果については90%以上の参加者が、意識・知識の向上につながったと答えた。また約70%が実技、マネージメント能力の向上につながったと答えた。また、38%の参加者が今回の成果を各消防で生かすと答えた。そして34%が今後のセミナーにもぜひ参加すると答えた。

 考察)県内全域、消防学校からの昨年よりも更に多数の参加が得られたこと、そしてアンケートでの、セミナーの成果についての好意的な回答、今後の開催への多数の積極的な意見よりセミナーは成果があったと判断できる。また、シミュレーションにおいては、その企画段階から、地域の消防隊と連携して活動できたことが昨年からの進歩と考えられる。ただし実技、マネージメントについてはまだ課題が残ることも示唆された。今後も災害医療セミナーを実施し、災害教育の方法論、評価法を確立して行く予定である。

 

 


5. 進まない災害対策‐基幹災害医療センターから

札幌医科大学医学部救急集中治療部

丹野克俊,武山佳洋,宮田 圭,斎藤丈太,吉田正志,奈良 理,森 和久,成松英智,伊藤 靖,浅井康文

 

<はじめに>阪神・淡路大震災の教訓から災害時の医療確保のため災害拠点病院の整備が行われ,平成9年1月,当施設は基幹災害医療センターとして指定を受けた.その役割を担うべく,救急ヘリコプター搬送を含めた患者搬送体制,医療救護班の派遣体制,施設・設備などの整備を進めてきた.

<目的と方法>東海村核災害を参考に実災害における当施設の対応をシミュレートし,基幹災害医療センターとしての現状と問題点を考察した.

<結果>北海道には原子力発電所が存在するが,事故想定時の当施設核災害マニュアルはなく2次汚染を起こす可能性が示唆された.

<考察>当施設では過去に道央道多重衝突事故(1992年),北海道南西沖地震(1993年),豊浜トンネル崩落事故(1996年)などに対して医療チーム派遣,患者受入,ヘリコプター搬送,調査を行ってきたが,すべて当施設救急集中治療部長の判断で同部が対応したもので,当施設の代表としての活動ではなかった.また,基幹災害医療センターに求められるもののひとつに,「要員の訓練・研修機能を有すること」とあるにも関わらず満足な研修が行われていないのが現状である.一刻も早い研修システムの導入と過去の実災害の教訓から得た対応策が望まれる.

 

 


6. 千葉県災害拠点病院連絡会議の発足とこれまでの成果

千葉県災害拠点病院連絡会議

益子邦洋、加藤恒生、龍野勝彦、伊良部徳次、織田成人、伊藤範行、高橋長裕、金 弘、吉野肇一、渋谷正徳、中村紀夫、小川 清、平山愛山、岡田 正、福家伸夫、磯部勝見、亀田伸介、上村公平、鈴木弘祐、堀内和之、野口照義

 

 災害拠点病院には、多発外傷、挫滅症候群、広範囲熱傷等の重篤救急患者に対して救命医療を行うための高度の診療機能を有し、被災地からの重症傷病者の受け入れ機能を有すると共に、広域搬送への対応機能や自己完結型医療救護チームの派遣機能、地域の医療機関への応急用資器材の貸し出し機能を有する地域災害医療センターと、更にそれらの機能を強化し、要員の訓練・研修機能を有する基幹災害医療センターがある。

 千葉県においては基幹災害医療センター3施設と地域災害医療センター14施設、合計17医療機関が災害拠点病院の指定を受けているが、大規模災害時に円滑な救助ならびに救命医療を展開するためには、災害拠点病院同士、或いは災害拠点病院と地域医療機関の緊密な連携が不可欠である。この為には普段からのヒューマンネットワーク構築により、お互いに顔の見える付き合いをしている事が重要であるとの観点から、千葉県においては千葉県衛生部、千葉県医師会、災害拠点病院、災害協力病院が同じテーブルについて、地域防災計画における災害拠点病院の役割、災害時医療救護活動の体系、市町村の医療救護協定の状況、災害拠点病院の状況、災害対策マニュアル作成等を定期的に討議する災害拠点病院連絡会議を発足させ、平成10年6月13日の準備会合を含めて計3回の連絡会議を開催している。また、事務的作業を円滑に処理し、問題点や課題を抽出し、具体的な検討を行うために、災害拠点病院連絡会議幹事会を設置し、既に2回の幹事会を開催している。

 これらの会議を通じて、各災害拠点病院の災害対策マニュアルの標準化とレベルアップが図られ、災害訓練時における拠点病院間の広域搬送訓練が実施され、災害発生時における災害拠点病院と地域医療機関との連携のあり方が明らかになった。また、Y2K問題に対応するマニュアル作成や訓練の実施に関しても共通認識が得られた。現在、千葉県災害拠点病院連絡会議が中心となって、災害医療に関わる多くの関係者を対象とした災害医療セミナーを総合病院国保旭中央病院で開催するための準備を開始したところである。

 今後は千葉県の消防・防災部局担当者や、ヘリコプターの運行に関わる千葉市消防局航空隊関係者もメンバーに加わって頂く事を検討しており、本連絡会議をより緊密なものとする事により、千葉県全体として災害医療対応能力を高めて行く必要がある。

 

 


7. 国際緊急援助隊と青年海外協力隊の活動協力に関する一考察

群馬パース看護短期大学

矢嶋 和江

 

【はじめに】青年海外協力隊(JOCV)隊員の国際緊急援助隊活動(JDR活動)への支援協力は、平成3年インドネシア火山噴火による救援活動以降、JDRが派遣される国地域に於て展開されてきた。現地事情に精通しているJOCV隊員の参加は、災害救援活動を展開する上で大きな役割を果たしてきている。今回、現地で緊急援助隊医療チームの救援活動に参加したJOCV隊員の活動に関する問題を検証したので報告する。

【対象と方法】平成3年4月-平成11年3月の期間、災害救援活動に参加したJOCV隊員 方法:郵送による質問紙調査 6ケ国、46通発送。(回収率48.8%)  

【設問内容と結果】

-国際緊急援助隊について、知っているかとの設問では、参加して初めて知ったとする回答が7割であった。

-参加動機では、国際協力事業団(JICA)よりの要請によるが8割であるが、要請受諾は隊員の判断に任せられている。救援活動をしたいと事務局に交渉している隊員もいる。     

-活動の内容では、「通訳兼補助的業務のみで医療行為はしない」事になっているが,保健医療隊員外でも、トリアージ的行為や受付・問診などの業務を求められている

-活動全般に関する意見

・救援活動中のストレスについて、回答した隊員の8割はストレスがあり、医療チームとの関係に因したものであった。特に強いストレスであったとする隊員は2割以上あった。

・救援活動については、緊急性に乏しい、活動開始が遅い、活動場所の選択等である  -救援活動への相互協力について(*この質問については、JDR医療チーム35名の看護職からもアンケート調査実施す)    

・現地事情に詳しいJOCV隊員が、JDRの活動に参加することは、極めて有効であり、意義があるとする回答は、JDR医療チームで59.2%、JOCV隊員では66.6%である。

【考察】今回のアンケート調査により、現地で活動しているJOCV隊員が国際緊急援助隊医療チームに協力して救援活動に参加する事は、活動を円滑に展開する上で有効である事が確認された。しかし双方の間にいくつかの問題も提起された。JOCV隊員の参加が、今後も期待されるならば、-隊員の医療チーム内での位置付けや、事故などに対する責任の明確化-組織や役割等、相互理解に向けたプログラムや啓蒙活動の実施等が検討される必要性があると考える。

 

 


8. コロンビア共和国震災に対する国際緊急援助隊医療チームの活動報告

関西医科大学救命救急センター救急医学科1、国立病院東京災害医療センター2 

自治医科大学大宮医療センター3、JMTDR登録員4、国際協力事業団(JICA)5

箱田 滋1、大友 康裕2、瀬尾 憲正3、中田 敬司4、木野 毅彦4、野澤 美香4,谷 暢子4、鈴木 秀明4、田村 豊光4、今野 孝雄4、玉井 京子4、西澤 健司4,青木 利道5、関口 美紀5

 

1999年1月25日午後1時19分(日本時間26日午前3時19分)にマグニチュード6の地震がコロンビア中部のコーヒー地帯で発生した。コロンビアの日本大使館員に、コロンビア政府から緊急物質援助および緊急援助隊救助チームの要請があった。外務省の指示により、国際協力事業団(Japan International Cooperation Agency、以下JICA)国際緊急援助隊事務局は、救助チームの派遣を決定した。救助チームは同26日朝(日本時間27日午後7時)、成田空港を出発した。コロンビア政府に救助チーム派遣出発を報告した際、医療チームの派遣の要請もあり、引き続き医療チームの派遣が決定した。活動経過:日本時間28日、午前9時に結団式。午前11時、成田発。現地時間、1月28日午後9時15分、首都ボゴタに到着した。1月29日、震災地アルメニアに到着した。1月30日-2月6日、医療活動を行った(サンファン・デ・ディオス病院,ブラジリア,ブラジリアの3ヶ所)。医療活動:2月6日に全診療を終了するまでに診療患者総数は1355名で、疾患としては外傷、呼吸器系疾患(流行性感冒含む)、精神科系疾患、下痢性疾患が中心であった。サンファン・デ・ディオス病院では1月30日から2月6日まで診療し、病院医師に申し送りした。ブラジリアは1月31日から診療を開始し2月4日で終了し、カリ市の医療チームに申し送りした。ブエノスアイレスは2月3日に診療所を開設し2月6日で終了し、カリ市の医療チームに申し送りした。今回の地震災害の特徴および考察:1)医療対象:外傷、呼吸器系疾患、精神科系疾患(PTSD含む)、下痢性疾患、皮膚科系疾患、眼科・耳鼻科系疾患、その他消化器系疾患の順で多かった。また震災地の病院がほとんど壊滅していたため(サンファン・デ・ディオス病院が1つ残存していたのみ)、慢性疾患(高血圧、高脂血症等)の薬切れの患者も多く見受けられた。2)医療器材:持参した機材でほとんど間に合ったが、薬品に関しては不要と思われるものも多く、再点検が必要と思われた。抗生剤、消毒薬、ORS等需要の多かったものは現地の病院から補充して頂いた。3)環境と安全:国民の大半が拳銃を持っているというだけあって、ブラジリア付近では銃声や盗難が医療活動中は発生していたようだった。幸い我々の安全は現地の警察官2人が警護してくれたが、絶対安全というわけではなかった。4)派遣のタイミング:救助チームの派遣から医療チームの派遣までの準備期間が非常に短かったため、現地スタッフは、業務的にマンパワー不足になり、過剰な負担となった。

 

 


9.  コロンビア共和国地震の国際緊急援助活動の報告

  -観光旅行延期勧告地区での活動-

日本医科大学附属病院

木野 毅彦

 

1999年1月25日午後1時19分(現地時間)コロンビア共和国西部のキンディオ県にてマグネチュード6.0の地震が発生。人的被害、死者700人以上、負傷者2000人以上、行方不明者多数。物的被害、全壊・半全壊家屋数多数の被害状況。

 同日コロンビア大統領はだだちに国家非常事態宣言を出し、日本国への援助物資と共に人的援助として医療チーム要請がなされた。要請に対し、わが国は国際緊急援助として、医療チーム(以下JMTDRとする)と、レスキューチームを現地へ派遣した。

 現地での医療活動は南米の奥地ということもあり、移動や情報収集等で時間がかかり、活動期間は実質6.5日間と短期間であった。

 しかし、我々が診療を開始したのが被災5日後であるにも関わらず、1355名という多くの被災民への医療活動が行えた。また患者の受傷分類から見ても、今回の震災からの直接的な疾患が25%、二次的な疾患が50%を占め、被災地への緊急援助の有効性かうかがえた。

今回、我々JMTDRは、南米にある発展途上国の危険な地域での活動を通じ、貧富の差・治安・通信・言語・習慣・震災直後という悪状況によって診療に支障をきたした活動から得た、危険地域での医療活動についてJMTDRの活動内容を報告する。

 

 


10. JDR救助チーム隊員の医療について

兵庫医科大学救急・災害医学 吉永和正、久保山一敏、切田 学、丸川征四郎

東京警察病院 曽我部るみ子

 

1999年1月のコロンビア地震に派遣されたJDR救助チームに初めて医師、看護婦が同行し隊員および支援グループの健康管理を行った。成果を上げる一方でいくつかの問題点も明かとなったので報告する。

【派遣の概要】日本時間で1月26日03:19(現地1月25日13:19)にコロンビアのアルメニア市付近で地震が発生した。救助チームは26日18:52成田を出発した。27日午後(現地時間)、発災から約48時間で現地に入り、直ちに救助活動を開始した。医療班は27日18:40に成田を出発した。28日19:00(現地時間)に被災地アルメニアに入り、救助チームと合流した。30日には撤収が決まったが、この日にJDR医療チームが現地入りした。救助チームは2月4日に帰国した。

【結果と問題点】

1.診療実績

 救助チームは37名よりなり、8名で延べ12回の診療を行った。外傷は4回、疾病8回であった。隊員宿泊場所が2カ所に分散したが、距離が離れていたために夜間の診療には支障が生じた。

2.問診票

 隊員の健康管理のために、出発前に問診票を作成して、1月29日、31日、2月3日の3回調査した。最も特徴的であったのは便秘の訴えが9(1/29),5(1/31),1(2/3)と減少したのに対して下痢が0(1/29),1(1/31),4(2/3)と増加したことである。この表の作成には1時間程度の余裕しかなく、思いつくままに作成せざるを得なかった。より効果的な問診票を作っておく必要がある。

3.SDS(Self-rating Depression Scale)

 隊員の心理面のチェックのためにSDSを準備した。これはうつ状態を知るためのスケールで、20項目の質問よりなっており各回答に1-4点を付けて合計を出す。問診票と同時にチェックしたが合計点の推移をみると上昇(悪化)9、低下(改善)16,不変3、不明2であった。上昇した者も8名は5点以下であり、10点の上昇を示した1名も正常域にあった。

従ってうつ状態に陥った隊員はなかったと考えられる。しかし、このスケールが短時間での変化を正確に抽出できるかは不明であり、今後の検討が必要である。

4.薬剤

 準備された薬剤は医療チームの被災地用であり、隊員の訴えに十分対応できる内容ではなかった。新たな薬剤構成を考えたが、現場でのニーズにどの程度合うかは今後の課題である。

(謝辞:適切な助言を頂いた朝日新聞科学部、中村通子さんに感謝します。)

 

 


11. AMDAによるコソボ難民支援緊急救援プロジェクト

AMDA日本支部

早川達也

 

AMDA日本支部は、NATOによるユーゴスラビア(以下ユーゴ)国内空爆を契機として急激に増加したアルバニア国内に流入したコソボ難民に対する医療支援活動を1999年4月4日より実施、次いで6月18日よりコソボ自治州内において医療支援活動を実施した。一方、空爆を受けたユーゴ国内においても8月12日より医療活動を実施した。

 アルバニアでは、当初調査活動を兼ねたコソボ自治州との国境に隣接するクケスにおける巡回診療を4月9日より実施し、次いで、5月6日より、アドリア海に面した港湾都市デュラスにおいて本格的な巡回診療を開始した。デュラスにおいては、日本人医療スタッフの他、コソボ難民の医師、看護婦を雇用、6地区において概ね各地区週2回の巡回診療を行なった。

 デュラスにおける支援活動は、NATOによる空爆が終了し、コソボ難民の帰還が本格化した6月より活動を縮小、最終的には7月16日に活動を終了した。

 一方、6月18日よりコソボ自治州内において調査活動を開始し、巡回診療を実施しつつ、本格的な支援活動は7月12日よりプリズレン近郊を中心に開始した。

 プリズレン近郊においては、現地のアンビュランスの復興支援を目的として、現地医療スタッフの後方支援を主体に、適宜日本人医療スタッフによる診療及び評価を行なった。

 これらの活動は、専らアルバニアで共に活動したコソボ難民医師の主導によって円滑に進められ、アルバニアでの連携を生かした活動となった。 尚、これらの活動は現在も継続中であるが、9月25日を以て緊急救援活動としては終了したこととした。

 また、ベオグラードでは、空爆下の5月29日より6月1日までの予備調査及び7月7日から11日までまでの調査を受けて、心的外傷後ストレス障害及び適応障害等を対象としての医療活動を8月12日より9月30日まで実施した。これは、主として、AMDAスルプスカ(ボスニア・ヘルツチェゴビナ共和国内のセルビア人共和国)支部の医療スタッフによって実施された。

 

 


12.  日本赤十字社コソボ紛争犠牲者医療救援報告(第1報)

日本赤十字社国際部 宮田 昭1)、東 智子1)、麻生俊英2)、内木美恵3)   織田照美4)、斎藤 栄、佐藤展章、粉川直樹       1)熊本赤十字病院 2)松山赤十字病院 3)高山赤十字病院 4)日本赤十字社医療センター

 

今年3月24日のユーゴスラヴィアに対するNATO空爆開始後86万人に上るコソボ難民が周辺諸国に流出した。日本赤十字社ではアルバニアに流出したコソボ難民に対する医療救援を4月30日調査チーム派遣より開始し、8月18日まで首都ティラナ近郊において2ヶ所の診療所と3チームからなる移動診療班を稼動した。6月10日のNATO空爆停止と6月20日のユーゴ軍撤退に伴い難民の帰還が急増した為、6月27日よりコソボ自治州内に調査チームを派遣、7月6日より医療班が活動を開始した。コソボ北西部デシャン市周辺において@緊急的医療支援とA医療システムの再建を目的とした活動を行った。

@ 緊急的医療支援の内容は1)デシャン市総合診療所に対する医薬品医療機材供与、破損した建物の応急的修復 2)デシャン市周辺の村の13診療所に対する医薬品・医療機材供与、破損した建物の応急的修復 3)デシャン市公営薬局に対する医薬品供与、建物の応急的修復 4)ペイエ市呼吸器専門病院に対する建物損壊個所の緊急的修復であった。これら診療施設における7月6日から8月31日の期間中での取り扱い患者数は延べ10,800人であった。

A 医療システムの再建は1)デシャン市総合診療所の新築工事と機材供与 2)デシャン市周辺の6診療所の恒久的修復 / 新築工事および機材供与 3)デシャン市公営薬局の恒久的修復 4)国境無き薬剤師団との協力による医薬品供与および医薬品需給に関するフィードバックであり、これらは現在継続中の事業である。

今回のコソボ自治州内における日赤医療救援事業では、@迅速な活動開始 A適切な現地のニーズ評価 Bニーズに合致した救援事業内容とスタッフ編成 C現地医療機関、医療従事者、臨時行政機関との良好な関係構築による共同的な救援活動であったこと D日本サイドからの現場への適切な支持と迅速な予算措置が評価できる一方、@国連関係機関による各国援助団体間の調整が極めて不良であった A医薬品、医療機材購入・搬入が困難で医療活動に支障をきたす可能性があった点が今後の課題と考えられた。

 

 


13. コソボ自治州における医療復興支援報告 -Baran amburantaでの活動を通して-

MeRU(特定非営利活動法人 日本医療救援機構)

廣瀬晴美、新井美和子、塚田真己、池田正人、

鎌田裕十朗、石原 哲、坂野晶司

 

10年来紛争の続いてきたユーゴスラビア・コソボ自治州では1999年6月に停戦合意が成立し、コソボ内ではUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)やUNMIK(コソボ暫定統治機構)など国連機関をはじめ多くのGO/NGOが復興支援を展開している。

われわれ日本医療救援機構(MeRU / Medical Relief Unit, Japan)も医療復興支援をコソボ自治州Pec市を拠点とし、同市周辺のBaran地区/Decan地区での活動について報告する。

【活動目的】-帰還難民への医療援助、-医療施設復興支援

【Operation期間】

1999/4- 1999/7/15- 1999/7/24- 1999/11/10- 2000/1-

第一段階(準備) 第二段階(現地調査) 第三段階(医療施設復興支援) 第四段階(現地への引継) 撤収

【活動拠点】Baran地区Amburanta(クリニック)、裨益人口約2-3万人、Decan地区Health Centre(産院)、裨益人口 約5万人。

【患者状況】呼吸器疾患がもっとも多く、小児科ケースが全体の38%程度を占めていた。また、衛生状態の悪化から疥癬、シラミなどの罹患を認めた。

【活動状況】WHOによるHealth Policy Guidelines for Kosovoに従って活動を行った。また住民の医療ニーズを常時アセスメントし、現地医療スタッフの医療水準と方針を検討した。そして、直接的支援ではなく、コーディネーションに徹することを基本とした。他のNGOと連携して活動を行うことで破壊されたAmburantaを修復し、11月10日に再オープンするに至った。

【考察】地域住民に対して、保健衛生指導、感染症予防についての指導並びに対策が必要かつ重要。現地医療スタッフにとってより良い職場を提供し、良い医療を実践してもらうことで地域住民へのサポートができると感じた。必要なサポートを的確にアセスメントすることが必要で、対象者が自立するための援助を実践することが重要である。

 


14.  トルコ共和国西部地震災害(1999年8月)における

国際緊急援助隊第一次医療チームの活動報告

(1):大阪府立中河内救命救急センター (2):北里大学医学部 救命救急医学   (3):国立国際医療センター (4):長浜赤十字病院 (5):大阪府立千里救命救急センター (6):筑波メディカルセンター (7):榊原記念病院 (8):昨雲会飯塚病院

当麻 美樹(1)、浅利 靖(2)、金井 要(3)、金澤 豊(4)、若狭 真美(5)、田村豊光(3)、青木 正志(6)、清水 真由美(3)、吉岡 留美(7)、荒井 尚之(8)、中田 敬司、山岸 勉

 

1999年8月17日、トルコ共和国西部に大規模な地震災害が発生し、国際緊急援助隊第一次医療チーム(JMTDR-1)が8月18日より8月31日まで派遣され援助活動を行った。今回我々は、その活動内容、問題点等について検討したので報告する。

【災害の規模】震源地はトルコ共和国北部の工業都市Izmit(Istanbulより東方約90km)で、地震の強さはマグニチュード7.4、揺れの強さは407ガルであった(阪神大震災ではマグニチュード7.2、818ガル)。PMCMC(Prime Minister's Crisis Management Center)の発表では、9月12日時点で倒壊建造物は60,434戸、死者は15,466人であった。大きな被害を被った都市は、Izmit、Adapazari、Yalova、Golcukなど広範囲にわたった。

【JMTDRの活動内容】JMTDR-1は、発災36時間後に日本を発ち、Istanbulへは60時間後に到着した。その後Yalovaで巡回診療を行った後、発災5日目より活動拠点をAdapazariに移し、同地で診療所を開設した。以後、二次隊に引き継いだ8月28日までの8日間を診療所での診療にあてた。@診療患者総数:804名(男/女=440/364)、A災害患者(災害による負傷者および災害後の環境悪化により生じた患者)/非災害患者:554名(68.9%)/250名(31.1%)、B外因性疾患(外傷または外傷に起因する傷病)/内因性疾患:262件(27.3%)/698件(72.7%)、C外因性疾患:挫滅症候群をはじめとする重度外傷は経験せず、汚染創による創感染、蜂窩織炎を多く認めた。D内因性疾患:呼吸器疾患、急性ストレス障害、皮膚疾患を多く認めた。E飲料水はほとんど全てmineral waterでまかなわれているため、水質検査は行わなかった。また、下痢を主訴とした被災者を40例認めたが、水系伝染病等の発生は認めなかった。

【問題点】@発災より現地での医療活動開始までに長時間を要した。A一旦現地に入ると、地震及びそれに関連する正確な情報(被災地内での感染症発生の有無など)は殆ど得られなかった。Binternetでは日々膨大な地震に関する情報が記載されているが、これらの中から必要な情報を選択して現地にfeedbackするシステムを確立する必要性を感じた。

 

 


15.   国際緊急援助隊における救急救命士の活動(生存者救出)

東京消防庁

榎本 暁

 

平成11年 8月17日 3時01分 (日本時間17日 9時01分) トルコ共和国西部で大規模な地震が発生した。 (死者 1,500名以上、負傷者23,900名以上) この地震災害に対して、国際緊急援助隊救助チームとして初めて救急救命士が参加し救出・救護活動を行った。 救急救命士の役割は、救助隊員と同様な救出活動はもとより、要救助者に対する救命処置、隊員の健康管理、医療チームとの連携等様々な業務に携わった。  特に今回は、国際緊急援助隊として初めて74歳の女性を崩壊建物現場から、救助隊員及び地元トルコ共和国医師と連携し、救急救命士が酸素投与等の救命処置を実施しながら58時間ぶりに生存救出した。これらの国際緊急援助隊の活動の中から生存者の救護活動にスポットをあて報告する。

 

 

 


16.  日赤医療救護班によるトルコ地震救援活動

─看護婦の立場から─

熊本赤十字病院  

東 智子

 

1999年8月17日未明、トルコで発生した大地震により数万人におよぶ多数の死傷者が出た。世界各国より援助団体が駆けつけ、救援活動を行っている。日本赤十字社は翌18日、医療救護班の第一陣を派遣した。約1ケ月の活動期間中、医師6名、看護婦5名、連絡調整員4名の計15名が救護活動に携わっている。日赤医療救護班は国際赤十字社連盟、トルコ赤新月社、トルコ政府危機管理センターと連携を計りながら活動を行ったが、初期の混乱した段階においては情報収集や状祝把握が非常に困難であった。

震源地イズミット近郊のウズンチフリック町役場に隣接する臨時救護所でトルコ人医療スタッフ、通訳、ボランティアとの協力のもと、延1700名の被災者に対し医療援助を行った。活動初期の対象は外傷が中心であったが、2-3週目頃より被災のため機能不全に陥った現地医療施設の代わりを果たすという役目が主となっている。80%の患者に心的外傷がみられ、トルコ人精神科医が治療に当たった。

看護婦としての活動は実際の被災者ケアの他、救護所内の整備、医薬品の確保、医療機器の管理、診療を円滑に行うためのシステム作り、情報収集など多岐にわたった。海外における緊急医療援助について、今回の経験から学んだことを看護婦の立場から報告する。

 


17.  台湾地震災害における医療活動報告

―国際緊急援助隊医療チームにおけるサイト選定について―

日本医科大学救急医学教室*1、豊中渡辺病院*2、JMTDR登録看護婦*3、北里大学病院*4、
済生会宇都宮病院*5、JMTDR登録調整員*6、国際協力事業団*7

小井土雄一*1、近藤久禎*1、多田章美*2、宮崎朋子*3、嶋田英子*4、毛塚良江*5、
山岸勉*6、中田敬司*6、三浦喜美男*7、伏見勝利*7、藤谷浩至*7

 

1999年9月21日に台湾に発災した地震災害に対して、国際緊急援助隊医療チーム(JDR)が派遣され医療活動を行ったので報告する。JDRは9月22日発災後48時間で被災地入りした。23日未明に南東県救災指揮センターに出向き、災害状況の把握とJDRの活動の打ち合わせを行った。診療活動は初日より開始できたが、指揮センターの情報の混乱、及び現地での交渉に時間を要し、最終的な活動場所(サイト)が決まるまで、3日間を要し3ヶ所のサイトを移動した。急性期に活動を開始したため、救急医療を要する症例を想定していたが、症例は軽症が大部分を占め、緊急搬送を要する症例は認められなかった。実質11日間の診療活動で計1.041名(内新患746名)の患者を診察した。前半は創処置等の外科治療が中心であり、後半は呼吸器感染症、慢性疾患、精神疾患等の内科治療が中心となった。発災直後、指揮センターも混乱する状況下、内外のGO、NGOの多くの医療チームが集結する中で、サイト選定は重要で且つストレスのかかった仕事であった。今回はニーズが高いサイトを確保できたことが、効果的な医療活動を展開できた最も大きな理由であった。

最近、JDRは発災後迅速な派遣が可能になった一方で、被災地入りした時点でサイトが決定されていないことが多くなった。因って、JDR自身で情報を集めサイトを決定することになるが、サイトの決定が医療活動の成否を大きく左右することを考えると、今後サイト選定のノウハウを充分に積み重ねると同時に選定のガイドラインを示していくべきだろう。

 

 


18. 台湾地震災害救援における、診察患者の疾病構造について

日本医科大学救急医学教室

近藤久禎、小井土雄一、二宮宣文、山本保博

 

目的:国際緊急援助隊医療チームは、台湾の地震災害に対し、被災後48時間という急性期に被災地に入り活動した。これは、JDR医療チームのミッションとしては、最も速く現地に入ったミッションの一つである。診察した被災者の疾病構造の変化に注目し、診察患者の情報について分析したので報告する。

方法:診療当日に記載したカルテをを基に得た、患者の被災状況、症状、治療などに関しての情報を整理、分析した。

結果:今回の診療で、鹿谷郷にて145名(内新患122名)、中寮郷にて896名(内新患624名)の計1041名(内新患746名)の患者を診察した。その内、77%はテント生活をしていた。診察した患者の疾病は、外傷(27.6%)、呼吸器感染症(23.6%)、慢性疾患(15.1%)が主なものであった。急性期には外傷が、亜急性期には呼吸器感染症、慢性疾患が主な対象であった。疫病の蔓延が懸念されていたが、消化器感染症は少なかった。また、外傷は、打撲や擦過傷の他、汚染創の洗浄が多かった。

考察:災害発生、急性期から亜急性期の医療ニーズとしては、震災の直接的な被害である外傷、震災時の体験、避難所での生活に起因するものとして、感染症(呼吸器、消化器、皮膚、蚊媒介)、精神症状(PTSD)、震災後現地医療サービスが低下したことに起因するものとして慢性疾患、母子保健、外傷後創部感染があげられる。今回のミッションでは、48時間で被災地に入れたが救命救急を中心とした活動に対するニーズは少なかった。その一方で、上記のような亜急性期に起こる多用なニーズにはある程度対応できた。感染症、精神疾患や皮膚疾患などに広く対応できる能力をますます整備して行くことが、今後重要だと思われた

 

 


19. 台湾地震災害救援における医療ニーズ・生活調査について

広島文教女子大学生活科学科1)、日本医科大学救急医学教室2)

中田敬司1)、近藤久禎2)、小井土雄一2)

 

目 的:国際緊急援助隊医療チームは、台湾の地震災害に対し、被災後48時間という急性期に被災地に入り活動した。今回、医療ニーズ・公衆衛生状態・生活状態を把握することにより、医療方針を明確化・感染症の予測・生活状況の変化考察・重傷者のサーベランス等を目的に調査を実施したので報告する。

方 法:各サイト及び付近で避難生活している被災者に聞き取り調査を実施

結 果:全体で93世帯、658名に聞き取りを行った。

医療ニーズ:調査当初は皮膚疾患、外傷、呼吸器疾患の順で症状を訴える被災者が多く、2回目、3回目の調査の総合的結果として皮膚疾患、外傷が減少し、呼吸器疾患、精神疾患が増加している。

公衆衛生状態:飲料水は100パーセント近くがミネラルウォーターを飲用し、生活用水は水道水及び地震以前から使っている井戸水を併用している。トイレは約80パーセントが仮設の公衆トイレを使用。虫除け対策は、殺虫剤、蚊帳などをもちいて対応している。

生活状況:生活に必要な物資は救援センターに豊富に用意されており、またトイレ、シャワーについても避難所に設置されていた。またしだいにテレビ等が設置され、日常的な娯楽設備も整いつつあった。

考 察:医療ニーズについては、まず重傷者はサイト内になく、急性期、亜急性期に見られる特徴を示していたと考えられる。

衛生状態は飲料水、トイレの状態など比較的良好な状態といえ、水系伝染病の発生の確率は低く、また虫刺され等は最終的に減少傾向にあり、かつサイト内に高熱の患者がいないことからデング熱流行の可能性は低いと考えられる。

生活状況については、飲食料、トイレ、就寝場所の確保、シャワー、娯楽施設等が整い一応の対応がなされていたと言える。しかし長期にわたるテント生活では精神的ストレスも多く早急な仮設住宅の設置を望む声もあった。

 今後こうした調査をストックし今後の診療方針、感染症の予測及び活動上の

提言としてゆく必要がある。

 

 


20. 日本赤十字社医療チームの台湾地震被災者救援活動報告

熊本赤十字病院  井 清司  松金秀暢  村田美和  有動知子 村岡 隆

日本赤十字社       斉藤 栄  加藤昭浩

日本赤十字社山梨県支部  深沢仁司

 

 1999年9月21日午前1時45分(日本時間同2時45分)台湾中部南投県集集付近を震源地としてマグニチュード7.6の地震が発生し、震源地近くの台湾中部や台北などで大きな被害が発生した。日本赤十字社は地震発生直後の9月21日午後2時、2名の調査班を、午後5時には医療チーム(医師1名、看護婦2名、調整員2名)を現地に向けて派遣した。現地では約一週間の救護活動を行った。当初、なるべく、すみやかに被災現場にレスキュー隊とともに入り、行動をともにして、医療活動を行う方針(Search &Rescue & Treatment)をとり、南投県竹山市南方の桶頭集落や、国姓郷南港集落西方の九分二山の大規模な地滑り現場などに出向いた。また、伝染性の下痢患者が発生した疑いがあるとの未確認情報にて、仁愛郷中原集落にまで分け入った。後半の活動は、国姓郷の学校や台中県石岡郷の社会福利会館で救護所を開設し、避難している住民の巡回診療を行った。前半の活動は、台湾紅十字社のスタッフの支援を、後半の活動は通訳や車両や運転手は全て、全面的に現地のボランティアの協力を、医療情報や医薬品などは台北市立慢性医院の救援チームの支援を得て遂行できた。

被災地での全体的な救援状況を阪神大震災と比較し印象として述べると、特に注目されたのは、@現地医療チームの迅速な対応 A道路や橋がかなり崩壊しているにもかかわらず応急工事や間道を使って車両を通行させ、それによる物資の供給が速やかであった B組織的で活発なヘリコプターによる搬送 C多数の国際救助隊の活動 D各種の技能を持つ現地ボランティアの協力 E避難民への各種情報の提供 などであり、参考にすべきことが多かった。

 

 


21. 台湾中部大地震と阪神淡路大震災における被災地急性期医療活動の比較

MeRU(特定非営利活動法人 日本医療救援機構)

鎌田裕十朗、新井美和子、石原 哲、坂野晶司

 

【はじめに】MeRUは昨年発災した台湾中部大地震(921集集大地震)において、Rapid Assessment Team (RAT)を派遣し、現地医療救援活動に参加した。そこで知見した台湾の医療救援活動と阪神淡路大震災直後の救援活動との比較を報告する。

【活動概要】発災当日より派遣チーム編成を行いつつ、現地状況および国際医療NGO救援活動の可能性を調査するためRATを派遣した。RATは当日台湾に入国、翌日南投市経由で被災中心地の埔里に進出し、現地医療救援活動に参加した。重・中等症患者の多くはすでに航空機や車輌により台中市等の後方医療施設に搬送が完了していたため、被災地では医療マンパワー、医療機器、医薬品は充足していた。医療ニーズは陸路途絶の山間部集落に存在したが、ヘリコプターによる医療供給体制が開始されるなど、国際医療NGOのニーズを認めないためMeRU本隊の派遣要請を行わず撤収した。

【阪神淡路大震災と同じ誤り】

1.医療情報の掌握(関係者会議、カルテの不備等)

2.医薬品、医療機器の管理、保管

3.アドミニストレーション

【我が国の集団災害医療体制と比べ優れていた点】

1.広域搬送(航空機使用等)

2.軍の協力(マンパワー、装備、通信、運輸手段等の提供)

3.医療機関のライフライン確保(CT駆動可の自家発電装置等)

4.民間医療機関から組織的なマンパワー、医薬品、医療機器の提供

5.医療ボランティアの受け入れ

 

 


22.  台湾大震災における民間医療機関の災害医療協力について

 - 徳洲会グループの経験から- 
総論、および衛生面の配慮

青木重憲(茅ヶ崎徳洲会病院)、中村燈喜、天野知徳、栗岡宏彰、末吉敦(宇治徳洲会病院)、徐嘉英(羽生病院)、橋爪慶人、坂本一喜、松元陽一(岸和田徳洲会病院)、清水徹朗(札幌徳洲会病院)、小芝章剛(札幌東徳洲会病院)、劉孟娟(名瀬徳洲会病院)、田川豊秋(神戸徳洲会病院)、竹内克彦(大和徳洲会病院)、津畑学、村井政史、鈴木隆夫(湘南鎌倉病院)、阿部好弘(鹿児島徳洲会病院)、江原伯陽(エバラこどもクリニック)

 

 1999年9月21日台湾に発生した大震災に対して、徳洲会グループは阪神大震災等での経験をふまえ、民間医療機関として独自の災害医療協力を行ったので、報告する。

 地震翌日の9月22日に医療法人徳洲会グループ内ボランティアの徳洲会災害医療協力隊(TDMAT)として、災害医療協力を行うことが決定され、先遣隊4名(医師3名、コーディネーター1名)が台湾に入国した。人的なネットワークが実を結び現地の長庚記念医院(3700床)の傘下で災害医療協力を行うことになり、9月23日に同院の担当する台中縣東勢鎮の被災地に到着した。東勢鎮の人口約6万人のうち約600人(死亡率1%、人口1 万人あたりの粗死亡率100)が、地震により死亡するという痛ましい状態であった。

 我々は東勢中学校の校庭に文字どおり野宿することから始まり、被災民と一緒の生活を行いながら医療活動を行った。9月24日に第1次隊11名(医師2名、看護士1名、薬剤師1名、臨床検査技師1名、放射線技師1名、臨床工学士1名、コーディネーター1名、通訳の医学生のボランティア3名)が現地に入り、9月25日には第2次隊15名(医師5名、看護士3名、薬剤師3名、臨床工学士3名、通訳の医学生のボランティア1名)が現地に入った。9月25日からは計30名で4カ所の避難所を担当して診療を行った。

 東勢鎮衛生所の林医師とともに公衆衛生学的観点からのアドバイスを行った。まず避難所の数、避難民の人数、トイレの数を調査した。避難民は6300 人、20箇所の避難所のちトイレがあったのは半数にすぎなかった。このため避難民20 人につき1カ所のトイレが必要であることを台湾政府に要請した。10月3日には第3次隊13名(医師5名、看護婦4名、看護士3名、臨床工学士1名)が現地入りし第1次、2次隊のメンバーと交代し、10月15日に全員撤収した。延べ人数は医師17名、看護士7名、看護婦4名、薬剤師4名、臨床工学士5名、臨床検査技師1名、放射線技師1名、コーデイネーター2名、台湾出身医学生4名の合計45名で24日間の海外災害医療協力を終了した。

 

今回の災害医療活動は阪神大震災の経験をもとにして、医療活動のみならず、公衆衛生上の問題まで踏み込んだ活動ができたと考えている。しかし海外における災害医療活動では、医師のライセンスの問題、通訳の確保、現地でのコーデイネーターの重要性、現地医療機関との連携、通信手段、輸送手段、日本での後方支援、医療スタッフの健康維持の問題など困難な点も多かった。

 

 


23.  台湾大震災における民間医療機関の災害医療協力について

-徳洲会グループの経験から-

各論:現地提携、通信、本部機能

橋爪慶人、坂本一喜、松元陽一(岸和田徳洲会病院)、青木重憲(茅ヶ崎徳洲会病院)、中村燈喜、天野知徳、栗岡宏彰、末吉敦(宇治徳洲会病院)、徐嘉英(羽生病院)、清水徹朗(札幌徳洲会病院)、小芝章剛(札幌東徳洲会病院)、劉孟娟(名瀬徳洲会病院)、田川豊秋(神戸徳洲会病院)、竹内克彦(大和徳洲会病院)、津畑学、村井政史、鈴木隆夫(湘南鎌倉病院)、阿部好弘(鹿児島徳洲会病院)、江原伯陽(エバラこどもクリニック)

 

 台湾921大地震で徳洲会災害医療協力隊(TDMAT)は、地震発生3日目の24日から台中縣東勢鎮で台湾の長庚記念医院グループとともに医療活動を行った。

 派遣に際し、グループの人脈を通し、現地医療機関である長庚記念医院グループの災害医療活動に協力する形を取ることが出来たため、医療行為のライセンスや通訳、現地公的機関との折衝などの問題をあまり意識せず、定点診療所と巡回診療を使い分け24日間延べ2300名の被災者の実質的診療に携わることが出来た。

 通信については、現地での通信環境がわからないため、当初イリジウム衛星携帯電話を3台、NTTDoCoMoの衛星携帯電話を1台用意して台湾へ持ち込んだが、その後、現地での携帯電話の通話状況の改善にあわせて、携帯電話を6台確保し各チーム間および日本に置いた本部との連絡を行った。

 阪神大震災では、われわれは震災発生当初の通信手段の確保に手間取りアマチュア無線を使用たが、数日間に携帯電話の使用ができるようになり通信手段は日に日に変化した。その経験から、台湾での通信手段の確保には様々な方法をとったが、実際の使用にあたってはそれぞれ一長一短があり、満足に通信が行えたというにはまだまだの状況だった。

 また、被災地から離れた安全で情報の集中する場所に連絡本部(今回は東京)を設置し、災害時医療のコーディネーターとして経験者を置き、政府機関、マスコミとの折衝、広報、グループ内の調整、現地との連絡などを集中させた。インターネット上でほぼ毎日の現地からの情報を公開し、これにより現地に入ったボランティアのみでなく、残って労働力の穴埋めをした職員に対してのフォローとなり、さらなるボランティアを募ることが出来た。しかし、民間医療機関として資金的限界や公的医療機関に比べ知名度の低さが行動を制約した。

 災害医療活動における現地医療機関との提携と通訳の問題、通信手段と本部機能に対する我々の考えを、阪神大震災での問題点とその対応策と、台湾という海外での医療活動をとおして得た問題点を提起し考察したい。

 

 


24. 台湾大地震ー国立大学医学部から災害救援医療チームを派遣してー

神戸大学医学部 災害・救急医学

中山伸一、松田 均、岡田直己、豊田泰弘、宮崎 大、石井 昇

 

1999年9月21日台湾を襲った地震の医療救援を目的とし、我々は災害救援医療チームを派遣した。その活動を報告し、災害医療救援のあり方について考察を加える。

【活動目標】1)現地情報を日本の災害救急医療関係者に発信する。2)可能ならば被災地の最前線において医療活動を行なう。3) 2)が不可能な場合でも、現地の医療人や行政人に災害医療のアドバイスを行なう、の3点を活動目標として掲げた。

【活動の概要】地震当日、被災地の情報入手とcounterpart を模索しつつ、医師4名(災害・救急医学、泌尿器科、整形外科、形成外科)、看護婦2名、薬剤師1名の総勢7名の災害救援医療チームを組織した。翌22日消毒薬や抗生剤などの薬剤を携行し、台湾へ出発した。同夜、counterpartの台中市衛生局と合流、南投県災害対策本部と相談のうえ、南投県中寮郷内城村(震源近くの人口約700人の山村)に応急救護所を開設した。衛生局保健婦や台中市医師会の医師、看護婦らと、翌23日から4日間にのべ287名、また他村でも台北や高雄の医療チームと協力し40名の診療を行った。患者は感冒のほか高血圧、糖尿病、痛風など慢性疾患の悪化例など疾病が約2/3を占め、外傷は約1/3と予想したより少なかった。

その他、避難所巡回や講演会開催により衛生局や現地の医師、看護婦などの医療人、行政人や避難民を対象に、阪神・淡路大震災の教訓に基づいたアドバイスを行った。

現地での情報や活動状況は、大学の連絡係にfax や国際電話で伝達し、それを救急医療関係者のmailing list(eml)に提供し、emlのメンバーからInternet 上に発信された。

【考察】今回掲げた目標を達成できた要因は、我々が早期に被災地に乗り込めたことと、Counterpart としての台中市衛生局との協力関係を構築できたことに尽きる。反省として、医師の構成を外科医のみとしたこと、内科系薬や小児薬の携行が不充分であったことなどが挙げられる。また、今回の台湾の初動では、ヘリコプター搬送や国内、国外の救助、医療チームの受入れ体制など、参考にすべきことが多かった。

【結語】国立大学医学部の少人数による医療救援でありながら、迅速なNGO的派遣により目標を達成することができた。日本国内やアジア地域を視野に入れた「できるだけ早く軽装備で被災地に飛び込み、情報収集、阪神・淡路大震災の経験の伝達、災害初期の医療支援を行う」というコンセプトは、大型の自己完結型チーム派遣が困難な現在の我々の状況からは最適であり、今後も発展的に継続していきたい。


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